CoRoNano

Continuation of RO(reverse osmosis operation) at the nano-level

人々を脅かす人間の愚かさの基本法則。自分の中にも存在する愚かさを知る。

 

コロナ騒動、ワクチン詐欺、マイナンバーカード問題・・・、利権に飛びつき、自分の利益を優先し、人々からお金と命と幸福を奪う人々・・・人間というのは、どこまでも愚かな生き物なのだと思います。

次に掲載させていただく記事には、人間の愚かさの基本法則が書かれています。

dailysceptic-org.translate.goog

*この記事はGoogle翻訳で自動翻訳しています。リンク先は日本語で表示されます。

(以下、上記記事より引用)

 

(中略)

 

(中略)

 

 (中略)

 

教育レベルが高く、たとえば国の要職についている人など、肩書きが素晴らしい人を、立派で信頼に値する人だと思い込んでいる人は多いと思います。

本来、そうあってほしいものですが、今回の新型コロナ騒動において、それが”幻想”だったということが明らかになりました。

人間の評価は、決して教育レベルだけで判断できるものではないと思いますが、自分の中に劣等感のようなものをかかえていると、肩書きなどに圧倒されて、人を判断しがちです。それを知っている支配者たちは、高学歴や肩書き、あるいは、立派そうに見える服装や立ち居振る舞い、真摯な対応など、ありとあらゆる方法で、信頼できる人を演じて、人々を信じ込ませようとしてきます。

本当に人間として評価されるべき人物というのは、決して教育レベルや外的要素だけに左右されるべきではないと思います。しかし、人の本質を見抜くことは難しいとも思います。瞳を見ればその人がどういう人物かが分かるとも言われますが、問題は、自分がそれを見抜けるだけの経験や洞察力、理性などがどの程度備わっているかにもよると思います。結局、それを見抜けない自分自身が愚かなのかもしれません。

善良な人は、人をだまそうとか、自分だけ得をしようなどとは考えていないと思うので、人も自分と同じだと思い込んで、だまされてしまうことがあるかもしれません。誰しも自分の常識の範疇でしか、物事を判断できないのではないでしょうか。人にだまされた経験のある人などは、経験から学んでいるので、だまされることは少ないと思いますが、それでも、愚かな人というのは、想像もつかないほど、どこまでも残虐非道だったりします。そのことを、この新型コロナ騒動で学ぶことができたと思います。まだまだ、どんな愚かな人がいるのかは、想像もつかないことではありますが。

たとえば、今まで自分達の味方だと思っていた人達が、実は、支配者側の手下だった・・・という事実が、今後も明らかになってくるかもしれません。人の心は、いつどのタイミングで悪魔にそそのかされるかさえも、わかりません。

しかし、それと同時に、自分自身の中に巣食う”悪魔”的な心にも、目を向けておく必要があると思います。誰の心の中にも、小さな”悪魔”は住んでいると思います。極悪非道ではなくとも、少しうそをついてしまったり、そんなに大きなことではなくとも自分だけ得したいという気持ちをいだいてみたり。最初はそういう小さな”悪”から始まって、「ま、いっか」「これくらい、大丈夫」「もう少しだけ」「もっと・・・もっと・・・」と、人の心はどこまでも欲深く愚かな方へと傾いてゆくものだと思います。

目の前で展開される極悪非道な出来事を、自分の行いに照らしながら、我が身を振り返ることも忘れないようにしたいものです。

まさか、自分がそんな悪いことはしない、と思っていても、もし自分の命と何かを天秤にかけなければならなくなった時、本当に自分は、自分の命よりも人の命を守れるのか。究極の選択を迫られた時には、人間の心は揺らぐのではないでしょうか。

今ある命よりも、魂の方が大切だと思います。それを理解していないと、おそらく、罪を犯す可能性が出てくると思います。

魂を守る生き方を選んでゆきたいですね。

 

ちなみに、余談ですが・・・

私はどちらかというと愚かな人間なので、悪いことだという意識もなく、悪い行いを重ねていた時期があります。その頃は不運ばかりが襲ってきていました。どこまでも不運が続いて初めて自分が悪を行っていたということに気づきました。良いことと悪いことの判断は、場合によっては難しいこともあります。世間の常識に染まってしまっていると、尚更です。そして、今もまだ、私の中には、贖いきれていない過去の悪い行いがたくさん残っています。さらには、今も知らずに重ねている悪があると思います。可能であるなら、全てを謝罪して罪を贖いたいですが、どのようにすれば贖えるのかは、天に委ねるしかないとも思っています。過去に犯した罪によって、本来用意されていたかもしれない人生は失われたかもしれませんが、それも罪の報いなのだと思います。過去を変えることはできませんが、未来が良くなるように、生きてゆきたいです。

 

そもそも人間というのは愚かな生き物なのだと思います。真実を正しく見抜くことも、善悪を正しく判断することも難しいと思います。そのことを自覚するなら、人間が生きてゆくためには、人間よりも遥かに偉大な創造主という存在が必要不可欠であるということが理解できるのかもしれません。自分や人の愚かさから身を守るためには、神様に寄り頼むのが一番だと私は思っています。信じるか信じないかは、あなた次第です。