CoRoNano

Continuation of RO(reverse osmosis operation) at the nano-level

あなたならどうする?人の生き死にを選ぶ権利は誰にあるのか?

 

医師で医療ジャーナリストの森田先生の記事を掲載させていただきます。

note.com

(以下、上記記事より一部引用)

 

(中略) 

以上を考察した上で、シャムの双生児問題について、僕は一人の医師としてどう考え、行動するだろうか?

「正解なんて存在しない」という前提で今僕が言えるのは、

その選択の場面から逃げずにきちんと正面から向き合うことだけは忘れたくない、

ということだ。

この場合ならまず、

・ご両親やご家族と対話する

(中略)

・多少事実をごまかしてでも自分が引き受ける。

(以下省略) 

 

出典:医者が患者を殺すとき|森田 洋之|note

 

もしも、このような選択を迫られたらどうしますか?

 

私が家族の立場だったら、二人を切り離す手術はせず、たとえ生存できなかったとしても、そのまま受け入れるという選択をすると思います。

なぜなら、たとえどのような状態で生まれてきても、それが、たとえ農薬などの影響であったとしても、その状態で生まれてくることを神様が選ばれて、神様によって創造されたと思うからです。

相談する相手の中に、神様という存在を除いてしまってはいけないと思います。

このような不運を被るとき、自分自身に問題がある場合もあれば、先祖の行いに何らかの問題があった場合も考えられると私は思っています。

神様の目に悪しき行いをした時、人間は、場合によっては何世代かに渡って報いを受けることになります。だから私は、与えられた不運をそのまま受け入れるしかないと思っています。

でも、その不運には、決して不幸だけではなく、恵みもセットで与えられているとも思うのです。よく考えてみると、不運は起きたけれど、その不運がなければ、こんな幸福は得られなかった、といった恵みが与えられていることに気づくと思います。それは、その不運の原因を、誰かのせいにするのではなく、自分自身や先祖の過去の行いの中に見出そうと努めることで、気づくことができると思います。

もちろん、全てその原因が自分にあるわけではないのですが、全ての原因の中で、自分が原因の部分については、自分自身が悔い改める必要があると思います。その原因追求を、自分から先祖にまで遡って、深く追求してゆくことで、なるほど、自分や先祖の行いは、神様の教えに背いている、と気づくのです。

そのことに気づいて、深く反省することで、不思議なことに、解決しないと思っていた問題が、自然と解消されてゆくのです。そのために失うものも出てくるとは思いますが。

例えば、今回の森田先生の提示された問題の場合、誰かが判断を下さずとも、誰かが自殺したり、殺人したりしなくとも、自然な形で子どもたちは息をひき取る結果になるかもしれません。森田先生のように、自分が罪を引き受けるという優しい先生に、罪を背負わせてしまう必要もなくなると思います。

生きていく中で、人間が判断を下せないようなことに遭遇したら、神様を知るよい機会なのだと思います。日頃、何事も問題が起きていない時には、神様なんていないだろう、と思って生きているかもしれませんが、大きな問題が起きて、どうしていいかわからず、死んでしまいたい、というくらい悩むことがあったら、神様に相談してみてほしいです。

相談する際には、自分や自分の先祖のことまで遡って、何が神様の目に悪しき行いだったのかをじっくり考えてみてほしいのです。

その時に必要になるのは、聖書なのですが、もし、そのような状況に追い込まれたら、自ずと徐々に聖書に導かれてゆくと思います。普段は、分厚くて読む気になれない聖書が、なぜか聖書を解説している人の動画に辿り着き、聖書にのめり込み、内容を理解するように促され、自分の間違いに気付かされてゆくと思います。

神様に「許してください。助けてください。導いてください。」と本気で願えば、その求めに応じて助けてくださると思います。ただし、その際には、神様に完全に従う必要があります。

 

信じるか信じないかは、あなた次第です。

 

 

Scenic Relaxation 8Kさんの動画を掲載させていただきます。

youtu.be

素敵な時間をお過ごしくださいね。