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困難な世の中を生きる上で重要なことは、神の前でひざまずき彼にすべてを託すことである。 〜エデンメディアさんの動画より〜

今日は、エデンメディアさんの動画より、ヨハネの黙示録22章10〜13節の御言葉について掲載させていただきます。

この世の中の何が本当で何が嘘かを判断できるような方でしたら、もう真理については、気づいていらっしゃることと思います。ですから、ヨハネの黙示録についても、もうすでに、よくご存知かもしれませんね。

 

youtu.be

(以下、動画より一部引用)

今週の御言葉の時間です

今日は黙示録22章10-13節

(中略)

また、わたしにこう言った。

「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。

「不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。」

「正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。」

「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。」

(中略)

悪には悪を行わせなさい…」

(中略)

我々には周りの人の行動を有る範囲を超えて主導したり

変えることは出来ないと言うことであります。

我々は自分の行動に責任をとり

他人に真理を伝え影響することは出来たとしても

最終的には一人一人が自分の人生の責任を負っており

(中略)

あなたは間違いなく知り合いから他人まで様々な人に今週遭遇するはずです

彼らはもしかすると悪を行なっている人あるいは正しく生きている人かもしれません

そうした状況であなたには

彼らに加担するかしないかと言った選択肢が与えられているのです

ただ最終的には神(中略)がそれぞれの行いに応じて報いるのです

しかしこれは”宗教的な勘定”とかではなく

我々の行動は神様に対する責任が伴い

それこそ我々が最も大事にするべき関係だと言うことであります

また世の中が狂った方向にあることを自覚することで

いちいち感情的にならず今後の不安を和らげることにもなるのです

なぜなら主導権は神にあるからです

「黙示録」の解釈は様々ですが

ヨハネに啓示を与えたのには理由があった訳です

そして今回の動画で挙げさせていただく究極的な教えとなるのが

神の主導権です

その中には我々が主導する一人一人の判断も含まれており

すべての状況で我々が行える最高の判断となるのは

神の前でひざまずき彼にすべてを託すことであるのです

 

ワクチン接種や食糧危機、紛争、気象操作、第三次世界大戦など、世の中で起きている出来事の真実を知ったとしても、実際のところはどうすることもできません。知れば知るほど、自分達の無力さを思い知らされることになるのかもしれません。

でも、その無力さを思い知ることこそが大切なのだと思います。

人間誰しもみんな、遅かれ早かれ必ず ”死” を経験します。

たとえ、この世がどんなに平和であっても、どんなに健康であっても、人は必ず死にます

 

旧約聖書 創世記 第2章16 -17節

16 神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ

旧約聖書 創世記 第3章11 -12節

11 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」

12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」

13 そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

善悪の知識の木から取って食べてしまったので、必ず死にます。

 

必ず死ぬ、という当たり前のことを改めて思い出すときというのは、幸せに包まれているときではなく、むしろ苦難の中にあるときだと思います。

死にたくない。死ぬのがこわい。あるいは、むしろ、死にたい…。そんな心境になったとき、はじめて ”人は死んだらどうなるのか” ということについて真剣に考えるのではないでしょうか。

死について関心を持ち、死んだ後にも永遠に生き続ける世界があるという真実に導かれてゆくことが大切なのだと思います。

 

旧約聖書 創世記 第3章22 -24節

22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」

23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。

24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

 

この世で悪を行なっている人々に、悪を行わせて放っておかれているのは

創造主である神様です。

そして、私たちは、その悪を行う者に加担することなく

神様に立ち返ることができるのかどうかを

試されているのだと思います。

そして、最終的には、

私たちの行いを何もかも全て御存じの

神様によって裁かれて、

死んだ後にどのような世界で住むことになるのかが決定します。

天国なのか地獄なのか・・・。

私たち人間は、死んだら終わりではなく、

天国か地獄かのどちらかで永遠に生き続けることになります。

このことを ”信じるか信じないかは、あなた次第です”

ということになるのだと思いますが、

神様を信じて従っておいた方がいいと私は思います。

 

聖書と同様に真実が書かれている”啓示の書”に、聖典コーランがありますが、

聖典コーラン第3章アールイムラーン章イムラーン家

「アリフ、ラーム、ミーム。唯一の神以外に、生き生きと永遠の保護者である存在はない。[彼は]書物を正しく汝に下した。それは以前の書物の中にあったしるしと合致する。ユダヤ教徒聖典と、キリスト教徒の聖典を、これ以前にも人々を導くために下した。真理を偽りと区別する書物を下した。神の節に背を向けた人々には厳しい懲罰がくだる。神は報いを与える全能の方である」

 

聖典コーラン第6章アル・アンアーム章家畜、第155節

「これは、我々が[汝に]下した恩恵に溢れる啓典である。だからこれに従い、敬虔さを守りなさい。そうすれば、慈悲に授かるであろう」

 

この聖典コーランの中にも、”神様の前にひざまずき神様にすべてを託す” といった内容と同じようなことが書かれています。

聖典コーラン 第1章アル・ファーティハ章、第1節~7節

「慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において。世界の創造主である神に称賛あれ。慈悲深く寛容な方。彼は、最後の審判の主である。[神よ、]私たちはあなたのみを崇拝し、あなたのみに助けを求める。私たちを正しい道へと導きたまえ。あなたの怒りを受けたり、道に迷った人たちではなく、あなたが恩恵を与えた人々の道に」

 

誰も人類を助け出すことなどできないと思い知り、神様のみを崇拝し、神様のみに助けを求めることが、人類にとって一番現実的で正しいことなのだと思います。それが、この困難な世の中を生きてゆく上で最も重要であり、最も安心して生きられる方法でもあると思います。この世界の全てを(悪魔さえも)、支配しておられるのは神様であり、その神様に助けていただけるのであれば、恐れるものなどあるはずがないと思います。つまり、恐れるべきは、支配者層の人たちでもなく、悪魔でもなく、創造主である神様のみだということになります。その神様から厳しい懲罰を受けるのではなく、慈悲に授かれるような生き方をしてゆきたいものです。

 

聖典コーラン 雌牛章 第1節〜5節

アリフ・ラーム・ミーム。それこそは、疑いの余地のない啓典である。その中には、主を畏れる者たちへの導きがある。主を畏れる者たちとは、幽玄界を信じ、礼拝の務めを守り、またわれが授けたものを施す者、またわれがあなた(ムハンマド)に啓示したもの、またあなた以前(の預言者たち)に啓示したものを信じ、また来世を堅く信じる者たちである。これらの者は、主から導かれた者であり、また至上の幸福を成就する者である。

聖典コーラン 雌牛章 第24節〜29節

もしあなたがたが出来ないならば、いや、出来るはずもないのだが、それならば、人間と石を燃料とする地獄の業火を恐れなさい。それは不信心者のために用意されている。信仰して善行に勤しむ者たちには、かれらのために、川が下を流れる楽園に就いての吉報を伝えなさい。かれらはそこで、糧の果実を与えられる度に、「これはわたしたちが以前に与えられた物だ。」と言う。かれらには、それ程似たものが授けられる。また純潔な配偶者を授けられ、永遠にその中に住むのである。本当にアッラーは、蚊または更に小さいものをも、比喩に挙げることを厭われない。信仰する者はそれが主から下された真理であることを知る。だが不信心者は、「アッラーは、この比喩で一体何を御望みだろう。」と言う。かれは、このように多くの者を迷うに任せ、また多くの者を(正しい道に)導かれる。かれは、主の掟に背く者の外は、(誰も)迷わさない。確約して置きながらアッラーとの約束を破る者、アッラーが結べと命じられたものから離れ、地上で悪を行う者、これらの者は(等しく)失敗者である。あなたがたはどうしてアッラーを拒否出来ようか。かれこそは生命のないあなたがたに、生命を授けられた御方。それからあなたがたを死なせ、更に甦らせ、更にまたかれの御許に帰らせられる御方。かれこそは、あなたがたのために、地上の凡てのものを創られた方であり、更に天の創造に向かい、7つの天を完成された御方。またかれは凡てのことを熟知される。

 

”信じるか信じないかは、あなた次第・・・” 

もうすでに真理へと導かれた方は、人々に福音を伝えてほしいと願っています。

 

 

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